魚類学者、タレントとして多彩に活動している、さかなクンについて、見てまいりましょう。
豊富な魚類の知識を持ちながら、独特のキャラクターでも知られている、さかなクン。
しかし、たとえ、さかなクンの顔や名前は知っていたとしても、くわしい人物像までは知らないという方も、少なからず存在するのではないでしょうか。
そこで、ここでは、そんなさかなクンについて、いろいろなことをチェックしてまいりたいと思います。
さかなクンがすごい理由、魚好きになったキッカケ、そして東京海洋大学客員准教授になった経緯は何だったのかについて、それぞれ調べてみましたので、ご覧ください。
1.さかなクンの経歴
さかなクンは、1975年8月6日、東京都の出身で、2020年11月現在の年齢は、45歳となっています。
本名は「宮澤正之」。
実は、父親は囲碁棋士の宮沢吾朗さんでした。
高校生時代に、『TVチャンピオン』内の企画の「全国魚通選手権」において、見事、準優勝し、さらに、5連覇することになった、さかなクン。
このように、魚類に精通していたさかなクンは、専門学校を卒業した後、ペットショップで住み込んで店長を務めます。
そして、具体的な経緯は後ほどご紹介しますが、2006年に、魚類学者として東京海洋大学客員准教授に就任したのでした。
以後、さかなクンは、田沢湖のクニマスが西湖で生存していることを突きとめたり、絶滅種であるとみられてきたクニマスを発見するなど、多数の業績をあげていくことになります。
一方で、タレントとしても、ユニークなキャラクターで知られていくことに。
こうしたことによって、さかなクンは、2012年、海洋立国推進功労者内閣総理大臣賞を受賞するという快挙をはたしたのでした。
以上だけでもそうとうなものといえるでしょうが、さかなクンのキャリアは、まだまだすごいものだったのです。
2015年には、客員准教授を務めていた東京海洋大学から、名誉博士の称号が贈られたのでした。
さらに、これまでにさかなクンが務めてきた役職は、委員が、文部科学省科学技術白書表紙絵・デザインコンクール審査委員、水産庁水産政策審議会特別委員、全国漁業協同組合連合会魚食普及委員など。
研究員が、千葉県立安房博物館客員研究員、よしもとおもしろ水族館研究員など。
大使が、農林水産省お魚大使、日本ユネスコ国内委員会広報大使、新潟おさかな大使、明石たこ大使、千葉県館山市ふるさと親善大使、なぶら親善大使、宮古島海の親善大使、小笠原諸島PR大使など。
アンバサダーが、環境省低炭素杯2017低炭素杯2017アンバサダー、環境省国際サンゴ礁年2018アンバサダー、環境省みんなで減らそうレジ袋チャレンジプラごみゼロアンバサダーなど。
受賞歴は、食育文化功労賞、ベストスイマーなどとなっています。
2021年も、そんなさかなクンの働きに期待しましょう。
2.さかなクンの学歴
これだけのキャリアがあったさかなクンですが、出身校はどこだったのかも調べてみました。
さかなクンは、小学校は綾瀬市立北の台小学校、中学校は綾瀬市立北の台中学校、高校は神奈川県立綾瀬西高校でした。
その後、さかなクンは、東京海洋大学に進学しようとしたものの、失敗。
そこで、日本動物植物専門学院に進学していたのです。
もっとも、東京海洋大学の客員准教授にはなれましたので、かえってすごい話ですけどね。
3.さかなクンがすごい理由
ここまで見てきただけでも、さかなクンのすごさは、お分かりいただけたことと思います。
しかし、さかなクンがすごい理由は、まだあったのでした。
さかなクンといえば、魚類学者だけに、魚の生態はもちろん、調理にも精通していますが、それだけではありません。
タレント活動もそうですが、さかなクンは、イラストレーターとしても評判だったのです。
さかなクンは、講演をするさいには、平易な説明に務めていて、みずから描いた絵を使用していたからでした。
魚類学者だけでもたいしたものなのに、ここまで広範囲にわたって活躍していたとは、もはや言うことがありません。
4.さかなクンの魚好きのきっかけと大学准教授になった経緯
さかなクンが魚好きになったキッカケも気になりますが、くわしいことは不明です。
ただ、中学生時代に、学校で飼育していたカブトガニを人工孵化させていますから、これがキッカケになったのかもしれません。
それとも、このときはもう惹かれていたのでしょうか。
なお、さかなクンが東京海洋大学客員准教授になった経緯は、ずばりイラストが始まりでした。
魚関連の仕事を次々にしていたところ、描いた魚のイラストが売れ出し、イラストレーターとしてブレイク。
そしてテレビ番組に出演し、魚の専門家として有名になっていったのです。
人生、どのように進むか、本当にわからないものですよね。
さかなクンは、おそらく、日本一有名な魚の専門家です。
とはいえ、ここまでキャリアと才能があったとは、おどろきました。
これからも日本の魚研究に尽力してくれることを願いましょう。